気を遣いすぎて疲れるのは「優しさ」を義務感に使っているから。

ムーンテッド(MoonTed)の日記より、セラピストのAKI。黒いTシャツ姿で、火を灯したキャンドルをグラスごと差し出すように持っている。左手には鏡に映った自分の姿。

類は友を呼ぶと言いますが、「本音を話せる友達が一人もいない」とか「家族って必要ですか?」みたいな、なんというか人に気を遣いすぎて、結果的に人間不信になっちゃうお客さんが多いのは、僕も似たような性質があるからなのかもしれません。

そういう方とは、これまで「距離感が大事」とか「友達や恋人という形にこだわりすぎなくていい」とか、あんまり未来を先取りしない程度に話し合ってきたけど、時代も進んだのでもう少し解像度を上げてみようかなと。

すごく簡単に言うと、これからは「義務感でつながる関係」が少しずつ終わっていくので、もっと自分本位に「この人が好き」「喜ばせたい」という関係を大事にすればいいんじゃないかな、なんてことです。

「家族のために家事をするのは私の務め」とか「このプロジェクトはオレが頑張らないと」とか「職場の空気を乱さないように」みたいな義務感は、これまでずっと常識でした。

でも家事は宅食サービスや家電のAI化でどんどん自動化されているし、職場でも「頑張るオレ」よりAIをどう使うかの話になってきています。

つまり、役割そのものがなくなったり変わったりすることで、そこにくっついていた人間関係の義務感も、だんだん意味をなさなくなっていくんじゃないかなって。

それに、義務感の関係ってあんまり人を幸せにしないみたいで、2017年にミシガン州立大学が27万人以上を調べた研究では、年齢を重ねるほど、家族より友人との関係の方が健康や幸福と強く結びついていて、その理由は、家族関係がどうしても義務感を帯びやすいからだそうです。

で、話を冒頭に戻すと、気を遣いすぎて疲れてしまう人って、共感性が高いがゆえの優しさを「嫌われないように」という義務感のほうに使ってきただけなんですよね。

なので、それを受動的な義務感ではなく能動的な「この人のために」に使えたら、一番ラクになるのはそういう人たちなんじゃないかなと。

そんなわけで、これまで義務感に注いできた人類のエネルギーが「この人のために」という気持ちに置き換わっていったら、人間関係の悩みも孤立も減っていくんじゃないかなーなんて夢を見ています。

かくいう自分も「お金をいただいてるんだからちゃんとやらなきゃ」より「喜んでもらいたい」を大事にしたいと思ってるんだけど、これがなかなかうまくいかないもので、意識を変えるのって難しい。

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