日記
パパブブレのちいかわキャンディー。僕の推しはうさぎです。
ちいかわとパパブブレがコラボしたキャンディーをいただきました。
飴で描画する不完全さに物語があって、オリジナルキャラよりも可愛いかも。
ちいかわキャラの中ではうさぎが好きです。
うさぎはこの世界がマトリックスであることをわかっていて、おふざけキャラだと思われがちだけど実は誰よりも役に立つやつです。
困っている人がいるときに「可哀想〜」って自己満足で同情するんじゃなくて、気を遣わせないように解決策を提案できるのがうさぎです。
自分もちいかわのうさぎを見習いたいです。
余談ですが、スペインはバルセロナ発祥のパパブブレもすごいですよね。
観光と農業くらいしか産業のないスペインで、キャンディのグローバル企業を育てるってヤバイ笑。
実際、パパブブレのキャンディは見た目だけじゃなくて味も楽しい♪
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代々木八幡のアロママッサージ/代々木公園のオイルマッサージ/女性専用・高級エステ/ストレス・疲れ・痩身・小顔
なぜ最近「人間」に疲れるのか? 「誰にも会いたくない」は脳の空き容量ゼロ。
家族と過ごす時間が増えるゴールデンウィークが終わって、「あーもう誰とも会いたくもない。。」という本音を話してくれる方がちらほらと。
とりわけ都心部で情報を自然にアップデートしているような、適応感度の高い方ほど「人疲れ」は深刻なんだろうなと予想してます。
SNSから放出される高解像度なリアルタイム情報や、AIが数秒で出すスマートな正解。こうした「淀みのない情報」に脳を最適化し続けると、私たちの脳の空き容量はすぐに満タンになってしまいます。
「ミスマッチ理論」とか言われるやつですが、そもそも私たちの脳(ハードウェア)は、これほど膨大な情報を常時取り込むようには進化していないそうです。
そんな余裕がなくなった脳にとって、生身の人間が持つ「曖昧さ」や「的外れな反応」は、ただリソースを奪うだけの非効率なエラーとして映ってしまうんですね。
さらにしんどいのは、Anthropicのダリオ・アモディ氏が指摘するような、文明論的な危機感を抱えて生きている人と、日常的な悩みで止まっている人との間にある「絶望的な認識のギャップ」です。
価値観のOSが「平成・昭和」のままの人と話すのは、もはやパラレルワールドの住人と対話するようなもので、どれだけ言葉を尽くしても「分かり合えない」という事実を突きつけられ、余計に孤独が深まってしまう。。
そんな異世界との接触がキツいようなら、今は優しく距離を置いて、未来へ向けた感性を守るほうがいいんじゃないかなーなんて考えてしまいます。
ただ、人間関係のすべてがノイズになるわけではありません。
同じように文明の転換点に焦りや戸惑いを感じている人同士なら、それはノイズではなく「共鳴」になるし、同じ景色が見えていれば、まどろっこしい説明も、自分を偽る必要もないので。
脳のストレージを解放して「余白」を作るには、物理的な空間を整えたり、手仕事や運動で肉体感覚を取り戻したりと、いくつか方法があります。
ただ、まー手っ取り早いのは「情報を遮断して、何もしないこと」笑。
自分もこんな時代に焦りと孤独を感じている一人なので、このサロンがそんな皆様の余白を取り戻す場所になればと願ってます。
ダラダラとうたた寝しながら心や体を緩め、何も考えない時間を作ることで、脳に溜まった不要なデータをデトックス。
知らぬ間に脳がオーバーヒートしてしまう時代の変わり目こそ、そんなメンテナンスが必要なんじゃないかなーなんて思ってます。
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お金から解放された港区女子が一周回って辿り着いた未来の生き方♪
いわゆる麻布界隈を走り抜けてきたこちらの美女は、多くのオジサマ達から推される港区女子なんだけど、先日聞いた「もう仕事やめたわー」の話が味わい深かったので紹介します。
なんでもイーロン・マスク氏らが提唱している「ユニバーサル・ハイ・インカム(UHI)」の到来を確信したら、お金とか承認欲求とか他人の目とか、そういうもの全てに興味がなくなったから「全部やめた」とのことです。
この写真も「載せていいんですか?」って聞いたら「もうSNSは全部やめたし、会いたい人にしか会わないし、逆にMoonTedの記念にしたいから」なんて言ってくれたので。
「5年で貯金を使い切る」を目標に、働かない生活をはじめてみたものの、数週間は「なんのために生きているのか?」がキツかったらしく、綿密な食事管理とアンチエイジングに全振りしながら考え・・・行き着いたのが「推されるんじゃなくて推すこと」。
最近は、好きな人を日常的に「推しまくっている」そうです。
近所のカフェに個性的で可愛い子がいたら、その子とちょっと会話をするために毎朝早起きして通ってみたり。
一生懸命がんばっている美容師さんの顔が見たくて、髪を切ったばかりなのにヘッドスパだけ予約してみたり。
どうやら僕も「推し」の一人で、もうお金なんて必要ないのに汗をかきながら施術しているアホな所が面白いらしいです。
さぁ今日は推し活だ!という意気込みはなくて、生活そのものが「推し」になっているような感じですね。
「これまでの価値観とか幻想が完全崩壊すると、好きな人に会うこととその人に喜んでもらうこと、それ以外に幸せなことってないんですよ♪」
さらに彼女が言うには、推す対象は「不完全なほどいい」し「家族とか恋人とか、これまでの関係性にしちゃうと利害や期待が生まれるからつまらない」とのこと。
これから先、AIやロボティクスが「完璧なもの」を無尽蔵に提供してくれる未来を予想すると、僕たちが愛おしさを感じるのは、生身の人が持つ「欠点」や「不器用さ」というノイズになるのでしょうね。
なんのメリットも期待せず、関係性を定義せず、不完全さを丸ごと肯定して、推したり推されたりしながら支え合う。
マネーという利害関係の極北まで行った女性が一周回って辿り着いた「なんか好きで助けたい」という純粋な心地よさに新しい時代の絆やコミュニティの可能性を感じました。
もしかしたら、そうやって好きな人に会いに行ったり、好きな人をサポートすることが、今で言うところの「仕事」のようになるのかもしれませんね。
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「私はこういう人」という思い込みを手放してみる。
サロンでお客さんの悩みを聞いていて「これはちょっと切ない〜」と感じるケースがあります。
「私にはこういう過去があるから、こうなってしまった」
「私はこうやって成功したから、これからもこうすべき」
ひたむきな人ほど「自分という檻」の中で身動きが取れなくなってしまうヤツです。
そこで「私はこういう人だから(自我)」が実は単なる思い込みである、という構造を少しだけ紹介します。
18世紀の哲学者、デイヴィッド・ヒュームは、人間には確固たる自分なんて存在せず、ただその時々の感覚が流れているだけの「知覚の束」だと言いました。
つまり「ムカつく〜気持ちいい〜寒い〜美味しい〜なんかキレイ〜」といった感覚が流れているだけなのに、記憶がそれをつなぎ合わせて「これが私です」っていうフィクション(思い込み)を創作しているってわけ。
「自分はこういう人間なんですよ〜涙」と、悲劇や成功の物語に陶酔してしまうと、その設定を守るために必死になるし、正義や正解を振りかざすし、未来の選択肢まで限定されるし、で、まーとにかくいろいろとシンドイんですね。
とりわけ現在のような時代の変わり目は、価値観や考え方にも変化と適応力が求められるから、この「自分維持コスト」が高い自意識過剰な人は追い詰められちゃう気がして心配。。
逆に「自分維持コスト」が低くて軽やかに変化する人には、自分のことよりも他者のことを考える傾向があるように思います。
「自分は〜自分は〜」と利己的に考えるよりも、「あの人大丈夫かな?」と利他的に動いている時に執着が薄らいでいく感覚、ありますよね。
僕の場合、そもそも「自分はこうしたい」が乏しいんだけど、少なくとも自分のために動いている時より、誰かのために動いている時の方がハッピーな気がするし。
それは自分を犠牲にするということではなく、自分というフィクションをいったん解体して、自分の外側に感覚を委ねてしまう心地よさなのだろうなーと思います。
これからやってくる新しい時代は、そんな「主語のない幸せ」をどれだけ積み上げられるかが、意外と大切な生き方の選択肢になるのかも♪
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頑張りすぎてしまうあなたを「強制停止」させたい理由。
予約がなくてポッカリと空白の時間を楽しめるはずの夜。
普通の方なら「やったー早く帰れる!気になってたカフェバーに行っちゃおうかな〜」なんてウキウキする時間なのでしょう。
ところが自分の場合、これがもう絶望的に「自分を喜ばせる」という才能が欠落していて、自由な時間が降ってきた瞬間、脳内では「生産性ノイローゼ」という名の小人がドコドコと太鼓を叩きはじめちゃう。
「この時間は誰の役に立つのか?付加価値はあるのか?」という思考と同時に焦燥感と不安感が押し寄せてきてしまいます。
なんとも情けないと自分の不器用さに呆れながら、ゴシゴシとサロンの鏡を磨き、グリグリと腕立て伏せをして、シーンと座禅を組み、誰が読むのかもわからぬこんな駄文をパチパチと書いています。
「あのお店に行けてウレシイ♪ これ食べたかった、ムフフ♪」って感じの消費者目線が欠落していて、なにかを「提供する側」として動いていないと、オロオロと不安に包まれてしまうんですね。
先日、海外のお客さんから「AKIは禅のお坊さんなの?」って真顔で聞かれたんだけど、そんな立派なものじゃなくて、単に自分を喜ばせるという回路が繋がっていないだけのような気が。。
心を落ち着かせようと深夜の代々木八幡宮を歩きながら「うん、夜風が気持ちいい♪」とか「今夜は薄月が美しいじゃないか♪」とか、隠居老人のようなことを独りごち、こんなんでいいのかな?なんていう修行もしてますがなんか違うような?
結局「誰かのため」なんていうおこがましい呪縛から逃げるには、理屈抜きに肉体が「気持ちいいなあ〜」と感じるしかないのではないか?という思考に回帰して「あ、そっか、だから僕はこの仕事をしているのか・・・」と変に納得しています。
そんなわけで「ワーカホリックで休み方がわからないんですよ〜涙」なんてお客さんが来ると俄然やる気が出ちゃう。
強制的に一時停止してグダグダに休ませて、自分でもよくわかってないのに「休み方や生きる喜びを覚えてもらおう」と・・・
それはきっと僕自身に向けられた想いなんですね。
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